---珈琲に秘めた夫婦の物語---

珈琲に秘めた夫婦の物語(夫/川島英治)

 私が生まれたのは昭和27年で、新聞販売業などを営む家庭のひとり息子でした。高校を卒業して地元の製鉄会社に就職し、高炉の電気保守として働きました。時代はちょうど高度経済成長期だし、仕事はとても忙しかったですよ。

 初めて体の不調を感じたのは20歳の時。ずっと熱が下がらないので町医者に行ったら風邪だと言われてね。薬を飲んでもちっとも治らないので、大きな病院で看てもらったら急性腎炎でした。その時は7ヶ月ほど入院したかな。それで完治した、と思っていたんです。

 腎臓病が再発したのは結婚して1年たった25歳の時で、家内は妊娠中でした。数ヶ月後に無事に長男が生まれましたが、私の病状は重くなっていきました。お医者さんからは人工透析を勧められましたが、透析は一度やり始めると一生せんなんでしょう。私はそれが嫌でね。治療を続けながらも透析を拒んでいたんです。

 

父親の役目を果たさねば

 

 ある日、入院中の病室に透析室の教授が来られて「川島さん、生まれてきた子のためにも透析を受けて、社会復帰して世の中に恩返しをせなあかんな」って言われた。その言葉を聞いてもまだ、覚悟は決まらなかったです。ところが小さな息子を腕に抱いたら、我が子の顔がね、ぼやけて見えやんのですよ。血圧が高くなりすぎて、眼底出血を起こして視力が落ちていたんです。「このままではあかん。元気になって父親の役目を果たそう」と強く思いました。そこから、私の長い透析生活が始まったんです。

 週3回の透析は、一回に5時間かかります。勤務先の協力もあって会社勤めをしながら治療を続け、家族を養うことができました。次男も生まれて家も建て、それなりに安定した暮らしではありました。でも、当時はまだ透析医療の分野が今ほど進んでいなかった。「透析をしたら、もう長生きはできない」と誰もが思っていた時代です。家内は看護師の仕事をしていたので医療には詳しいですが、「うちのお父さんの命はあと数年かもしれへん」と思っていたようです。

 でも私には「なんとしても、子どもを成人さすまでは」という気持ちがありましたからね。それと負けず嫌いな性格やから「負けたらあかん」という思いもありました。ひとつずつ乗り越えてきましたが、胃ガンにかかって胃を半分切除したり、ほんまにもう、次々と試練がやってきたんよ(笑)。

 

 

さらなる難病に襲われて

 

 55歳で早期退職したのは、長期の透析からくる合併症で後縦靱帯骨化症(こうじゅうじんたいこっかしょう)という難病を発症したからです。頚椎に神経障害を起こし、寝たきりの状態になりました。その時、知人から薬石という特殊な石を使った療法をすすめられ、わらにもすがる気持ちで体のつぼに薬石をはり、育成光線を首の部分にあてたんです。そしたらだんだん体が動くようになってきた。育成光線の力を実感したので、これをコーヒー豆にも取り入れてみようと思ったのがユメージング珈琲の始まりです。私たち夫婦が健康のために作り、そのおいしさを実感して商品化したものです。仕事は難しいこともたくさんあるし、まだまだ大変です。でも仕事をしているからこそ、わくわくする出会いもあるし「大変だから面白いね」と家内と話しているんです。

 私は今年で64歳になるので、透析生活もまもなく40年を迎えます。もしも今、腎臓病を患っている方にアドバイスをするとしたら「そう落ち込むもんでもないよ」と言いたいですね。長年、腎臓病医療の現場を患者の立場から見てきましたが、医学の発展というのはめざましいものがある。在宅血液透析も行われているし、腎臓移植という選択肢もあります。透析患者は全国で32万人いますが、皆さん日々がんばっておられます。私もその中の一人です。

 

この恩を社会に返したい

 

 長い透析人生を振り返って思うことは、やはり感謝です。透析という医療がなければここまで生きられなかったし、次男も生まれていなかったかもしれない。しかも透析治療は、高額療養費の特例として保険給付されるので、皆さんの税金で助けてもらっている。ですから私には「この恩を社会に返していかなあかん」という思いが大きいです。実は“劇団桜吹雪”というボランティア団体での活動にも力を入れていて、月に一度は地域の老人ホームなどで歌や演舞を披露しています。世間の皆さんに受けた恩を全部返すことはできへんけど、少しでも何かさせてもらいたい。家内や仲間たちと一緒に、舞台の練習にも励んでいるんですよ。 

 今は病院まで家内に車で送ってもらって、終わったら息子が迎えにきてくれて「幸せやな」としみじみ思います。確かに苦しいことは多かったけど、まっすぐに、正直に生きてきたという自負もあります。ずっと支えてくれた家内にも、本当に感謝しているんです。「来世も一緒になろうな」って誘ったら、「もうお父さんに見つからんように、木の陰にでも隠れとくわ」って言われますけど(笑)。

 

   聞き書き/北浦雅子(ココラボ出版)

家族写真

透析ツアー

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---珈琲に秘めた夫婦の物語---

珈琲に秘めた夫婦の物語 (妻/川島はつみ)

 私の実家は農家で、3人きょうだいの長女として育ちました。父親が42歳で他界してからは、母が女手ひとつで養ってくれたんです。看護学校への入学を勧めてくれたのは母ですが、「手に職を持って、何があっても食べていけるように」と考えてくれたのでしょう。

 看護学校で寮生活をしていた19歳の時、製鉄会社の社員さんたちとグループでハイキングをしたんです。その時、主人と出会って「他の人とはどこか違うな」と魅力を感じました。「この人といると、何か特別な体験ができそう」というわくわくした直感のようなものがありましたね。

 病気のことは、お付き合いを始める時に聞きました。「いつか透析をするかも」という思いは頭の片すみにありましたが、現実的な不安ではなかったです。結婚を決めた時、母は主人の病歴を理由に反対しましたが、私は「この人に決めたから」と押し切りました。その時はまさか、すぐ目の前に闘病生活が待っているとは思いもしなかった。

 

家族の思い出を作る日々

 

 結婚の翌年、24歳で長男を出産しました。息子が生後3ヶ月の時に主人の病状が悪化して、透析をすることになったんです。透析室の教授からその話をされた時は、抱いていた我が子を床に落としそうになりました。そのぐらい大きなショックでした。

 私はずっと看護師として働いていましたが、同じ病棟のドクターに「川島さんのだんなさん、透析を始めたんなら、もう長生きできへんな。あと4、5年の命やと思っといたほうがええで」と耳打ちをされたんです。すごく悔しかったですね。でも、心のないあの言葉があったから「絶対に主人を長生きさせてやる」とがんばれた。40年ほど前のことやし、透析医療もまだ始まったばかりでしょ。今は医学が進んでいるから大丈夫やけど、当時はまだそんなふうに言われる時代だったんです。

 続いて次男も生まれて、私は主人の看病と子育てと仕事に必死で、精神的にもしんどい時期でした。そんな中でも「家族の思い出を作っておこう」という気持ちが強かった。「4、5年の命」と言われたことが常に頭にあったんですね。だから家族旅行にもよく行きました。旅先で透析をしてくれる病院を手配せなあかんし、普通の旅行よりは高くつきますが、お金がなくても郵便局で借金をして旅行をしましたよ。「無い袖は振れんって言うけど、お母さんは無い袖でも振る人やな」と主人に呆れられましたけど(笑)。

 旅行中はいつも私が、家族が遊んでいる様子をビデオカメラで撮影しました。今みたいにコンパクトなカメラじゃなくて、大きな重たい機械を担いでどこにでも行きました。子どもたちに、お父さんの動いている姿を残しておきたかったから。

 

透析も私たちの日常

 

  つらかったのは、主人が55歳で難病の後縦靱帯骨化症(こうじゅうじんたいこっかしょう)を発症した時。「昨日できたことが今日はできない」という繰り返しで、症状がどんどん悪化したんです。主人は透析に関しては強い精神力を持っていますが、さすがにあの時は夫婦で落ち込みましたね。見かねた知人が、代替医療のカイロプロティックや薬石治療を紹介してくれました。その治療が功を奏して、再び歩くことができるようになったんです。本当に感動的な出来事でした。

 主人は第1級の障害者ですが、「自分が家族を守っていかなあかん」という強い気持ちを持ち続けています。そこが素晴らしいなぁと私は思うし、人として尊敬できます。結婚生活は波乱万丈だったけど、感動は多かったです。病気をちょっとでも克服できたら感動するし、家族旅行も感動的で、楽しい思い出になりました。生きているだけで幸せを実感できるのも、二人の息子が心やさしく育ったのも、病気があったおかげやと思うんです。

 透析のことは、皆さんが「大変やね」って言ってくれるけど、私たちにとったらこれが日常です。透析の日は病院まで送って行きますが「もしかしたら、このまま帰ってこないかも」と背中を見ながら切なくなることもありますよ。だから帰ってきたらすごく嬉しいし、ほっとするんです。病気が夫婦の心をつないでくれたおかげで、この結婚が続いたのかな。

 

スパルタの応援隊として

 

 主人の透析歴が30年を過ぎた頃から、小さな感動がだんだん大きな感謝の気持ちに変わってきたことを実感しています。ここまで長生きできていることが感謝やし、一緒にいられることがありがたい。世間の皆さんに対しても、感謝の気持ちが大きいです。ずっと主人を応援してきたけど私はスパルタの応援隊やから、やさしい顔ばかりはしてないんですよ。仕事も闘病もボランティアでやっている“劇団桜吹雪”の活動も、私は叱咤激励する一番の応援隊です。

 今はユメージング珈琲の仕事を一緒にできることが嬉しいですね。近ごろ注目されている水素水を使用して、さらに新しいコーヒー作りに挑戦してまいります。育成光線で熟成させたコーヒーの健康的なおいしさが、少しずつ広がっていきますようにと願っています。ひょっとしたら初めて出会った時に感じた「特別な体験ができそう」という直感は当たっていたかもしれないですね。あ、そやけど来世はもう一緒になれへんかも。今度はちょっとゆっくりさせてほしいわ(笑)。

 

   聞き書き/北浦雅子(ココラボ出版)

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